今夜は大阪にいる。夜降った激しい雨で、大阪の桜は散ってしまったかな。。。
「今年は、なんだかとても桜が気になるんです~」と、ある卵巣がんの患者さんがおっしゃった。毎日、桜が気になって仕方がなくて、桜を探して歩いているとのこと。
広島の患者さんからは、10数枚の桜の写真がメールで送られてきた。これはその中の一枚。お仕事にいく途中の道の桜。
彼女は、乳がんと甲状腺がんを経験し、この7年間、だいたい2週間に1度、電話相談(「生活と心の相談」)で、曽我がお話を聞かせていただいている。治療や生活のことはもちろんだが、最近は、仕事の話が9割。治療しながら、どう仕事を続けていくか。どう自分らしく働くか。職場の人間関係も難しい。私は彼女と、一度もお会いしたことはないのだが、お話を伺っているうちに、職場での彼女の様子と気持ちが映像で浮かんでくるようになった。彼女からすると、顔が見えないほうが話しやすいかもしれない。誰かに話すことで、自分自身の気持ちが整理できることもある。そんな彼女は、お仕事に行く途中、「来年も、ここで、こうして桜が見たいな~」と思いながらこの写真を撮ったそうだ。
私自身も病気後は、宴会モードではなく、桜が気になるようになった。初めの年は、少し青みがかったピンクの花を見上げると、せつなくて涙が出そうだった。パッと咲き、パッと散る儚さが自分の人生と重なる気がした。「来年、桜、見られるかな」と。そんな数年があって、その後は、桜を見ながら、「男女の情」まで思いを巡らしていたらしい。よろしければ、過去ブログ、ご覧あれ↓。
10年前の曽我ブログ:「愛はあるのだろうか」→「男女の情も、ひとえに・・・」の巻を
そして、今年の桜。会社に向かう朝7時過ぎ、自宅そばの江戸川橋駅近く、神田川にせり出して枝を広げる桜を見た。すごい!命が開いている!って感じ。水面にうつる花もいい。
夏に出来た花芽はいったん休眠し、冬の寒さを経て眠りからさめる(冬の寒さがないと休眠は打破されないらしい)。そして、つぼみが膨らみ、開花する。毎年、新しい花を咲かせ、美しく舞い散り、すぐに若い葉を出し、枝を伸ばす。そしてまた新しい花へ。一つとして同じ花、同じ葉、同じ枝はなく、毎年、新しい成長と進化をとげる桜。樹齢1000年という木もあるらしいが、1000年の古木ではなく、常に新しい自分へと成長し続けている。儚さより、「命」の力強さと生きる意味を示してくれているように思える。
そして、私自身はどうか。人生の道には、毎日、嬉しいことも、気をもむことも、いろいろ用意されている。どんなときも、その瞬間瞬間に、命を開いて生きているか。新しい自分へと変っていくことを恐れてはいないか。年を重ねても、笑顔で、いまを生きた!と実感しながら、進化を続けているだろうか。そんなことを思いながら、今年の桜を見た。
あなたは、今年の桜をどう見ている?どう感じている?