どうにも動けない。前に進めないときがある。
そんなときも、容赦なく、雨は降り、雷も鳴る。歯を食いしばって懸命に進むも、何ものかに足を引っ張られ、希望の羽をもぎ取られることもある。
もう、一歩も前に進めない気がする。信じてきた道も、人も、自分自身も、カスミの中に見えなくなっていくようだ…。
<がんワールド>を抜ける旅の途中には、こんな日もあるだろう。
がんでなくても、人生の道では、こんな日も来る。
シルバーウィーク中も、一人どこにも行かず、
このブログに辿りついてくださった方、今日は、あなたに。
私が<がんワールド>を彷徨っていたとき、自分と対峙する中で、
「なぜ生きるのか」という問いを突き付けられ、その答えを考え続けた。
その答えが出ないと、一歩も前に進めない気がした。そして、さまざまな本を読み漁ったり、セミナーに出かけて行ったりもしたが、その答えは見つからなかった。そして、「迷いながら生きること」こそが、「生きること」なのだ、と、自分なりに結論づけた。
しかし、今年になって(あれから16年も経って)、TODAY!心斎橋の窓から、早朝の空を眺めていたら、「人はなぜ生きるのか」という問いの答えが突然頭に浮かんできた。
「宇宙も、自然も、前に進んでいる。進化し続けている。
この宇宙のいとなみの中で、人間も<前に進む>ようにできているはず。
『前に進むために生まれてきた』のだ。」
シンプルだけど、腑に落ちた。
そう、どんなときも、人は前に進めるのだ。
どんなに傷ついても、「自然治癒力」があり、身体も心も、
少しずつ少しずつ回復し、そして、前に進む。
命ある限り「前に進む」ことが、人間の自然な姿であり、
与えられた「命の力」だ。これを無駄にせず、進んでいくだけでいい。
あれこれ取り越し苦労をする時間とエネルギーがあるなら、
その時間とエネルギーを前に進むことに使おう、そう思えた。
そして、私は、自分のために、まわりの人ために、
このすばらしい日本のために、世界のために、
前進しているか。向上、進化しているか。
いつも、そう考えるようになった。
判断に迷うときは、前に進んでいるかどうかを考える。自分にも、人にも、足をひっぱることはしない。そして、前に進むことを許してくれるすべてのものに感謝する。これを続けることで、私は、やっと、
「自分らしく生きる」ことがどういうことか、
この身心を持って、少しずつわかり始めている。
それでも、ときどき、身を刺すような雷雨が来る。
それに気を取られているうちに動けなくなることもある。
にもかかわらず、平然と笑顔で進んでいくのは…難しい。
「前へ、前へ、それでも、前へ」自分に言い続けている言葉である。
これを何度も言っていると、雨も、風も、雷も、羽をもぎ取る何ものかにも、感謝しよう、と思えるようになってきた。これも前に進むために降ってきたものだろうから。
シルバーウィーク、東京―大阪を移動する満席の新幹線の中で、
偶然聞いたTEDxTohoku
最もきつい修行と言われる1000日間、毎日48キロの山道を歩く
「大峯千日回峰行」を成し遂げられた塩沼大阿闍梨様のお話。
「もうだめだ、次の一歩が進めない」と思ったとき、どうしたか。
その日記の朗読は、自分の人生と重なる。よかったら、聞いてみてください。
さあ、どんなときも、前に進もう!それでも、前へ。
20150922 あなたが 「前に進む」 ためのウィッグ、ブラ、パッド、そして気持ち!
私がお手伝いします。